たべるものにはこまっていない・・・はず・・・

TOEICを受験してきた。先日受験した英検よりはましな問題だったが、

いかんせん、忙しい。
Listening sectionは、45分で100問、Reading sectionは、75分で100問。
尋常なペースではないことがおわかりだろうか。
私は、長文は得意なので、そこで稼いだ時間で文法問題に取り組むことができたが、
ちゃんとできていたかどうかは不明である。


さて、問題は終わった後。一番重要な問題、「食べ物」である。

今夜は何にしませう〜?


家にある明太子を使って、明太子スパゲティを作ろうと、大葉を買った・・・


だが、ピラフを食べたくなって、必要な材料を買った・・・

直後、コロッケのいい匂いがしてきて・・・


・・・2週間分の夕食にはなったであろう。

こんな具合に、突発的に料理をすることがある。普段からしていればよいのだが、
そんな時間がなく、結局生協食堂で済ませてしまうのである。
しかし、自分で作った方が安いに決まっている。もうちょっと料理するか・・・。

・・・もう1個書きたい。連投します・・・。

眠れない夜、起きられない朝

しばらく更新をしなかった。それは・・・。


単純に疲れていた、ということもある。しかし、最も切実な問題は、

「不規則な生活リズム」

である。


きちんと計画を立て、規則正しい生活をしていた元受験生も、大学に入れば、
途端に生活リズムが狂うらしい。
(私?私は、受験生時代から不規則だが・・・大学に入ってさらに狂いだした。)

夜ふかし、寝坊、朝食抜き、カオス状態の部屋・・・などなど、狂い方は様々であろう。

入浴を手抜きする人もいるかもしれない。(流石にいないか?)

まあ、そのことに自力で思い至るわけだし、その点では大丈夫なのか・・・?



・・・と言ってるうちに、眠くなった。おやすみ世界。


急に寒くなったが、また気温が上がるようだ。信じられん。

あさいんめんとほりっく。

学校からの課題は、まあ、こなすべきものだろう、やって力になると思うものなら
(その課題が、教師の単なる個人的趣味であったり、
かえって害になりそうなものならばその限りではない)。
今振り返って、もう少し丁寧にやっておけばよかったと思う宿題が
いくつあることか・・・(もっとも、業者の問題集など、
簡単に終わってしまうものも多かったが。業者ごとに特徴があるからである。
解答の誤りも多い。解答があっていても、解説が誤っている場合がかなりある。
大学入試用の過去問集もそうだが)。
だから、大学に入ってからはもう少し丁寧にやっている。丁寧に・・・というか、
マニアに奔ってる感もあるが。


というわけで、化学実験、倫理学微分積分学のレポートに追われている。
結構重いのだ、これが。だが、自分の思考プロセスの整理ができるので、やっている。
普段考えていることを、相手に分かるように文章化するのは、かなりの時間を要するのだ・・・
化学の場合は、反応式が助けてくれるが。
数学の場合は、ただ数式を並べればよい、というわけではないので、厄介である。
根が文系の私にとっては、数式を操るのも大変だが、論理の飛躍・反転のチェックも
念入りに行わねばならない。文系教科の場合は、ある程度得意ゆえに、
どこで難癖をつけられそうか分かるのに、うまくいかない(課題自体が
そのような性質を帯びているのだが)場合が多く、意外と苦労する。


では、授業はどうであろうか?

私の通っている大学の学生の言い分はこうである。

「授業に出ることは勉強ではない。」その通り!自分で完全に勉強できる人は
それが一番良いだろう。公文生などはそうかもしれない。また、偉人にもそのような人が多い。所謂、学校嫌いである。とはいえ、そんなことができる生徒は
近年非常に少なくなってきたのが現状である。「ゆとり教育」の影響だろうか・・・
独りで勉強し、試験を受けると、所々誤りが目立つ、あるいは全く的外れのことを
書いて自己満足しているようなのである。それどころではない。学校に行って
「きちんと」勉強し、予習・復習してる生徒ですらそのようなのである。
大学の先生方に言わせれば、そんな生徒だらけなので、それでもあんまりに
ひどいのでない限り、通すしかないのが現状だそうで。

こんなこと書いてる私自身は、大丈夫か?


・・・もちろん、「体がだるいから・・・」「だるいから・・・部活優先・・・」
などは本来問題外である。しかし、高校生・大学生の場合は
義務教育でないからして、そのあたりに関する判断は自己責任である。
誤解のないように付け加えておくと、そのようなことを
大学側が奨励しているわけではない。
鴨川大学の一般教養科目についてもそうである。


私は一応、よほどのことがない限り、履修した授業には全てでている。
とはいえ、それは大した理由があるわけではない。予習・復習が嫌いであり、何か言われたらその場で教師に質問したい、本を読んだだけでは分からないことが
沢山あるからである。
特に語学と自然科学は、1回休むと、行ってもなんとなく乗り気でなくなる。
なんか知らないけど、置いて行かれたような気がするのである。だから、一応
行っている。休んで、その内容をテスト前に全てやるだけの能力・気力・自信が、
私にはない。授業は、そのために利用している。もっとも、全く出席をせずとも、
勉強(いや、大学においては研究の方が適当である)したことを評価してくれる授業もあるが。


いろいろ考えていたら、「価値観の固定化」について考えてしまった・・・
気が向いたらまた書く。

・・・で、ちょっとだけ書くwww。


Berryz工房のアルバム曲で、「にぎやかな冬」という曲がある。その歌詞に・・・


「お餅はきな粉と砂糖でしょ!」


というのがあった。「価値観の固定化(笑)」である。ちなみに我が家の場合、
いくつかのバリエーションがある。きな粉と砂糖と塩の混合物、醤油単独、
醤油と海苔、きな粉と塩などである。生来、砂糖を使うことをあまり好まないのである。


・・・もっとも、お餅を食べること自体がかなり少ないが。

ちなみに、私はBerryz工房のヲタではない。メンバーの名前はすべて言えるし、
どのPVを見ても、どれがどの人か分かるし、曲も大体歌えるが、ダンスのレベルが
高すぎて(+私の運動神経がなさ過ぎて)真似できないし、コンサートに行ったことないし、第一、コンサートに行ってもヲタ芸などはしないだろうからである。
メンバーの写真集、生写真(意味不明である)、メンバーの全身が写った
マイクロファイバータオル、その他もろもろのグッズも買う予定はない。
そのような活動に乗るものを「ヲタ」というらしい。それを教えてくれた人に
言わせれば、私は「普通の観賞者」らしい。で、最近、身近にベリヲタがいるのを
知った。ちょっと驚きである。AKBヲタはかなりいて、正直驚いている。もっとも、
私の行っている学部学科には、アイドルに興味を持っている人自体が少ないが。私も、
モーニング娘スマイレージAKB48、アイドリングなどには、バラエティー
もちろん、曲、ダンスに至るまで興味がない。また、Berryz工房でも、
バラエティーには興味がない。あくまで歌手グループなのだから。

念のため、誤解を解いておく。

自分は本当に成人か?

既に成人してから1年以上たっている。


やろうと思えば、1人で居酒屋やバーに行き、お酒を飲んできたり、場合によっては、

自らの責任において結婚することも可能である。


とはいえ、まだ大学生である。私はアルバイトをしていないが、仮にアルバイトをしたとしても、平均的なサラリーマンがしているような生活は、それだけでは望めない。

両親からの仕送りで全てが成り立つ。使い方によっては、


「沢山もらってる♪」


ともなるし、


「少ないな・・・」


などというトンデモな言葉(無論、両親が意図的にあなたの仕送りを減らしていることが分かった場合は別である)を吐くことにもなるだろう。


このページの読者としては、大学の新入生などを想定しているので、
「成人する」ことについて、飲酒の話題を持ち出したが、

さまざまな契約についてだって、同じことが言えるだろう。

医学部は別として、大抵は受講申し込みをしなければ、その講義の受講生とは
みなされない。これだって契約の一種である。

アルバイトの労働条件だってそうである。始めるときに、大学に入った後のことまで
本当に考えて契約した者がどれほどいようか(結構いるかもしれないけれど)。


「契約」と言ったが、これは西洋における成人の概念である。

もっと「成人になること」を一般化すると、initiationと言ったことになるだろうか?

火の中をくぐり抜けたり、大量の牛の背中を飛び越えたり、死ぬ危険性が高いような
高さからバンジージャンプをしたり、性器に割礼を施されたり、歯を数本抜かれたり
・・・枚挙にいとまがない。


現代日本ではどうだろう?


大工の棟梁のところで働いている人だったら、大工道具を使い、適切にメンテナンスするまでを自分でできるようになれば、とりあえず「一人前」となるだろう。

大学受験をする場合は、少し難しいが、

大学入試合格時がinitiationである、

という人もいれば、

就職が決まった時がinitiation

という人もいる。これは、学部間の差もあるだろう。
医学部の場合、入試が就職試験のようなものであるから、確かにそうなる可能性はある。


・・・もっと直感的に言えば、

「自分で何をしてもそつなくこなせるようになった時」

が、本当に成人する、あるいは、「大人になる」ということになろうか。

しかし、孔子によれば、その境地に達するには60歳までかかると言う!


早く「大人になる」ことが求められるようになり、大変な世の中である。

とかくこの世は住みづらい。まあ、それも面白い、と言ってしまえばそうなのだが。

  • 今日(昨日?)の読書記録(自分が忘れないようにするため)

現代化学

文章読本井上ひさし

悲しき熱帯1(まだ半分)

Natureダイジェスト(立ち読み)

新聞(?)




  • 「ベリ高フェス!」まであと1カ月

たゆたう日々

自分ではなんの力もない。

だったら、人のまねをするのも、自分を変える1つの手段か・・・?


そうは言ったって、いつまでもそうはしていられない。真似ばっかりしていても、自分が何者かが分からなくなって、そのうち破綻するだろう。


周りにはすごい人がそこそこいる。何がすごいか?

もちろん、お勉強もだが、何か1つのことに打ち込む情熱・・・いや、情熱という言葉は不適切だろう。
誰にも負けない位、自分のやってることが好きなように見受けられる。

自分がやってることとのLove Affairか・・・まさにそんな感じだな・・・

じゃあ、私はどうなんだろう・・・自分がやってることが大好きか?

人のやることを見て、「あー、こっちがいいな」とか思って、結局自分を見失ってるだけではないか。

寂寥。漠然。不安感。

そんなわけで、ヴァイオリンを久々に弾くことにした。

・・・の前に、ブログを書くことにした。どぞよろ。